myurome’s diary from Italy

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フィレンツェ観光・ふと目につく悲しげな顔の装飾の真相!

フィレンンツェの街でまず目に入ってくるのが、大きくて綺麗なドゥオーモ、サンタマリア・デル・フィオーレ教会です。

 

 

この教会は1296年に作り始められた教会で、完成するまでに160年以上かかりました。

 

ただ正面とファサードだけは、途中で未完成まま作業が中止になってしまい、建築家アルノルフォ・ディ・カンビオが作ったその未完成の正面は、もう時代に合わないということで1587年に取り壊されてしまいます。

 

その後、何度か新たに作ろうとしたもののなかなか出来ず、結局1887年に完成し、それが現在の正面とファサードとなります。



ちなみにオリジナルの正面の彫刻などは、ドゥオーモ裏のドゥオーモ博物館にあるので、興味がある方はぜひ行ってみてください。




今日ご紹介するのは、そのファサードの右の扉にある、ブロンズで出来たある人物の小さな自画像の彫刻です。

 

 

実は私も1か月くらい前までその存在を知りませんでした。

 

ファサードには3つのブロンズでできたの扉があります。

 

最初は木の扉だったそうですが、両側の2枚の扉を作る為に1885年に第一回目の、1888年に第二回目のコンクールがありました。

 

そのコンクールでは、既に中央扉を作っていたパッサリア(Passaglia)が一番の人気で、彼が向かって左側の扉も作ることになります。

 

鐘楼の近くにあることから、鐘楼の扉と言われている右側の扉は、ジュセッペ・カッシオーリ(Giuseppe Cassioli)がコンクールで勝利し、作ることになります。

 

彼は、シエナではその才能を認められて有名でしたが、フィレンツェ人は彼が任命されたのをあまり納得していなかったと言われています。

 

カッシオーリはそれまでも色々なプロジェクトから外されていたため、この扉を作成するために情熱をもって望んだと言われてます。

 

彼自身で銅を溶解する許可まで得ていました。

 

作品はとてもダイナミックで独創的で、細かいところまでノミで彫ってあり、光沢もあったのでその技術はとても評価されました。



ただ一方で、納期に遅れていたことや経済的な問題が持ち上がり、1899年6月24日のサンジョバンニのお祭りの日に一般に公開されますが、評価とともに批判もあったとされています。

 

その後、作るにあたってとても苦悩したため、鬱になり落ち込んでしまいます。

 

彼がこの時期に味わった批判、苦悩、不運が実はこの小さい自画像に表れていて、精神的なプレッシャーと再三にわたる支払いや納期の催促に悩まされていたのがわかります。

 

当時のジャーナリストによると、ちょうど反対側にあったギベルティの天国の扉といつも比較されていたようです。

 

その時の自分の精神状態を表すように、右側の扉に作った人物の顔へ自分を表現しています。

 

 

首に蛇がネクタイのように巻き付いており、自分の首を絞めています。

 

これはどうも法律の圧力に耐えきれなかった自分自身を表しているようです。

 

現在この扉が入場入口になっていますので、入る時にちょっと探してみて下さいね。

ただ入口は変わることがありますので注意して下さい。

 

ちなみにドゥオ―モの入場は現在無料ですが、シーズン中は結構並んでいます。

混んでいる時は1時間待ちもありました。

 

実は、内側はクーポラのフレスコ画を除いてはシンプルなので、もし時間に余裕がない場合は、外観だけの観賞をお勧めします。