myurome’s diary from Italy

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【イタリア旅行】フィレンツェ・ウッフィツィ美術館の「メディチのヴィーナス」を見る!

皆さん、こんにちは!

フィレンツェガイドの福島です。

 

先日イノシシ、マルシアなどの彫刻をご案内しましたが、今日はウッフィツィ美術館で一番有名なメディチのビーナスをご紹介します。

 

この彫刻がある部屋はトリブーナ。8角形の部屋で、メディチ家フランチェスコ一世がブォンタレンティに注文して、1581年から1583年の間に作らせた部屋です。

 

 

ここには絵画や彫刻だけでなく、自然の中から集められた変わったものや特別なもの、メダル、小彫刻、宝石、カメオなどが飾られていました。

 

しかし現在は、以前とはだいぶ変えられてしまいました。

残念ながら2014年に修復が終わってからは、内側に入れなくなり、3つの扉から中を覗き込むことが出来るだけになってしまいました。

 

それでも綺麗な装飾が残っています。一番の見どころは天井の内側で、インド洋からもって来た真珠貝が5780枚埋め込まれています。

 

 

ぜひのぞきこんで下さいね!

 

その一番奥にメディチのヴィーナスがあります。

 

 

これはローマのトライアヌスの温泉跡で発見され、その後メディチ家のフェルディナンドに譲渡されます。

 

1677年にこの美術館に持って来られ、このトリブーナに置かれました。

 

当時からとても人気があり、ヨーロッパやイタリア全土からこの彫刻を見る為だけに沢山の人がやってきたと言われています。

 

今まで表現されたヴィーナスの中で、最も美しいと言われていたほどです。

 

基部には作者である、クレオメネス・アポドロスの息子(Kleomenes figlio di Apollodoros)

の名前が書いてあります。

 

彼は紀元前1世紀にアテネで活躍していた彫刻家であったため、ここからこの彫刻が作られたのが大体紀元前1世紀の終わりだということがわかっています。



ヴィーナスは水浴びを終え出てきますが、誰かに見られているのに気づき、前かがみになり腕で胸と股間を隠そうとしています。

 

それにより、恥じらいのヴィーナスとも呼ばれています。

 

足元には木の幹とイルカ、そして2人の天使が彫られています。

 

これらはこの彫刻の飾りでもありますが、彫刻自体を支える役目も果たしています。

 

最近の修復によりオリジナルの色が分かり、髪の毛には金箔が貼られ金色、唇には赤色、基部にはラピスラズリの青色が使われていました。

 

耳たぶには穴が2つ開いていて、多分イヤリングをしていただろうと思われます。

 

1700年代に見た人がこの金髪について語っているので、その時代まではこれらの色彩が残っていたと考えられており、本当に生きている女性のようだったと伝えられています。



しかし残念ながら、トスカーナ公国がナポレオンに支配されていた時、ナポレオンがこの彫刻を気に入り、1802年にパリへ持って行ってしまいます。

 

1800年、トスカーナ公国フランス軍が入ってきた時、フィレンツェ美術館の責任者であるトマソ・プッチーニが、ウッフィツィ美術館とピッティ美術館にあった作品をフランス軍から守る為、75個の箱に入れてリボルノからパレルモまで船で運んだと言われていいます。

 

プッチーニパレルモでこれらの作品を厳重に監督します。

 

しかし、「これらの作品はフィレンツェに戻すべきだ。」と言うことになり、船に乗せて運ぼうとしたところ、フランス軍がやって来てこのヴィーナスが入っている箱を盗み、マルセイユに持って行きました。

 

その後パリのナポレオン博物館に持っていかれしまったのです。



そしてこのメディチのヴィーナスはフランスでとても称賛されます。

 

フィレンツェの人達はその代わりにカノーバにイタリアのビーナスを作らせ、このトリブーナに飾っていましたが、1816年のナポレオンの失脚の後、メディチのヴィーナスが戻り、カノーバのイタリアのビーナスはパラティーナ美術館に移されました。

 

フランス人たちは、メディチのヴィーナスを自分達のヴィーナスと考えていたので、なくなってしまった後に新しいヴィーナスの像を買うことにします。

 

ギリシャのミロス島で発見されたミロのヴィーナスを、トルコから買ってきて修復し、そしてルーブル美術館に展示しました。。

 

今ではルーブル美術館のシンボルとなっています。